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何気ない今日と云う日

偶然あの日出逢い恋に落ちたよ

独りだった君と一人になった君

好きなきもちとか、応援するきもちに正誤も優劣も難易も、

なんのものさしもないけれど、

わたしが元太くんを応援してきた期間の中で、一番答えが見えなくて、たくさんの難しさを感じたのがこの一年でした。

 

 

わざわざ、こうして文章にすることではないことは百も承知だけど、

でも、忘れたくない気持ちだったのでできる限り文字に起こしておこうと思います。

 

記事を公開するのは、共感してほしいとか知って欲しいとかいう感情は一切なくて、わたしの中での決意表明?というか、なかったことにしたくないというか、とりあえず今自分自身一回ぜんぶをリセットさせるような意味?しかなくて、なんていうかとにかく本当に個人的な私情を垂れ流していくだけなので、そして本当に楽しくも面白くもない話しかしないから読まない方がいいよまじで!!!!(全力の注意喚起)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

去年のちょうどこのくらいの時期、

公式のWeb上からSexy松というユニットが消えて、

松倉くんはSHOCKカンパニーの一員として舞台に立っていて、

そして、元太くんは、テレビでも現場でもその姿を見ることがあまり、いや、ほとんど出来ませんでした。

 

そして、ちょうどその少し後、

秋から冬に季節が変わると大量のユニットが競うように発表されて、

ジャニーズワールドのステージはそんな「名前がある人たち」がとっても華やかにキラキラ輝いて見える舞台でした。

 

 

元太くんはそのときいわゆる「無所」と呼ばれる、名前がない名前を持つひとになりました。

 

 

 

もちろん、元太くんのユニットがなくなった直後にユニットバブルが起こって、羨ましい気持ちがなかったかといえばそんなことはないけれど、わたしは何色にでも染まれる、ステージや曲、バックにつく人によって何百通りにでも輝き方を変えることが出来るそんなポジションが大好きだったし名前がないことに対するマイナスのイメージはほとんど持っていませんでした。

 

元太くんが舞台上で手を抜いてるなぁと思ったことはなかったし、光が当たる当たらないにかかわらず、わたしが大好きなひとはいつだって一番輝いていると思ったし、後ろにいようが、衣装がキラキラしていなかろうが、客観的に見たら大勢の中のひとりとカウントされていようが、常に自分自身の体いっぽんで見ているひとの心を動かしまくる元太くんはとっても誇らしくてかっこいいなと思いました。

 

 

ただ、ひとつだけ感じたのは、

元太くんは今「楽しい」と思って踊っているのかな

ということ。

 

必死さだったり、その気迫だったり、日々引き込まれていくダンスや目つきだったり。

だいすきな元太くんで溢れていたけれど、

ただそのステージで踊っているだけで楽しいという気持ちがこぼれ落ちて仕方ない、そんな姿はわたしの目には映っていなくて。

舞台上で見せる楽しい顔は、仲良しの子とアイコンタクトしたり、ちょっかい出してみちゃったり、単純にそこがステージの上じゃなくてもいいよね?と思うような場面が目立っていて。

 

でも、それでも、わたしは強化ガラス性のめちゃくちゃ都合のいいフィルターを通して元太くんをみているせいで、きっとそういう姿を見るのが苦手なひとも少なからずいるだろうから、せっかくの頼もしい姿に芽生えた誰かの好きをその一瞬でチャラにして欲しくないなぁという少しばかりの懸念を持っているだけでした。

 

 

そして、ジャニーズワールドが終わってからまた元太くんが少年倶楽部のステージに立ってくれた時、冬に感じたふわっとした想いがちょこっと確信になりそうになりました。

 

 元太くんは今「楽しい」と思って踊っているのかな

 

わたしから見える景色はいつだって元太くんが一番前だよセンターだよぴぇ泣泣(痛)だけど、元太くんから見える景色はそれまでとはきっと全然違ったのかもしれない。

 

 

今まで見えなかったものが見えるようになってしまったこと。

今まで見えていたものが見えなくなってしまったこと。

 

 

元太くんの表情にほんの少し虚しさが見えてしまいました。

 

その当時、元太くん自身が何を思っていたかなんて、ファンのわたしに本当のことが分かるはずもないしわざわざ元太くんが公に言わないことを知る必要もないと思っているようなおたくだから、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、でもどうしても拭えない想いを抱いてしまって。

 

むしろ、なんて被害妄想が激しいんだ…って自分を殴り倒したい気分になって…

 

元太くんを応援している上で、わたしのなかの勝手なポリシーはマイナスの気持ちを持たないことでした。

というかポリシーにしなくとも、元太くんを応援しててマイナスの気持ちを持つ瞬間なんて1ミリもなかったし、いつだってどんな時だって全力で楽しそうに踊っている姿を私たちの前で見せてくれる元太くんに大好きかっこいいかわいい最高宇宙一!以外の気持ちなんて抱くはずがなかった。

 

でも、もしかしたら、元太くんにとって、

今の自分に「名前がない」ということが重たくのしかかっていたら・・・

と思わず感じてしまう、そんな姿に、わたしには見えてしまって。

 

 

 

少し話は変わるけど、

こうしてSNSやネットを通じて簡単に人の意見を目にすることが出来る環境があるからこそ、理想を押し付けてしまうことって案外無意識のうちにやりがちなことなのかなって最近よく思うようになって。

ツイッターに書かれた言葉だったり、いつ元太くんが目にしてもおかしくない場所では出来る限りそういう自分勝手な想いを軽々しく発したくないなと自分のなかでは精一杯気を付けているつもりで。

 

その意識ひとつに、わたしが松松シンメに対して、比較的ドライというかあまり固執した想いを持たないってことがあって。

 

わたしにとってシンメを応援するのってすごく怖いし、

どうしても美しく語られすぎてたくさんの人の想いが肥大しやすい、

そんなものだと思っていました。

それは元太くんを応援し始める前からずっと思っていたことで。

シンメに限らず、好きな人を応援する上でその人に付随する肩書きや固定の枠、それはユニットだったり括りだったり何でもだけど、外枠の部分に感情を持って行きすぎると、ふとした時に本来応援したいその人自身を見失いがちで、しかもそのことに気付きにくいってことを経験していたせいか、自然とそういう偏った好きの助長を避けようとしているところがあって。

 

何より、元太くんを応援するときに、松松を前提としたくなくて。

 

私が元太くんを応援し始めた時、すでに元太くんのシンメは松倉くんで、

ふたりは松松って呼ばれていて、誰もが認めるシンメが出来上がっていました。

だから、本当にすごく怖かった。

なぜかって、

松倉くんと元太くんは本当に素敵なパートナーだと思ったし、

2人はとっても美しいまさに誰もが思い描くようなシンメだったから。

だから物凄く怖かった。

 

松松だから元太くんがすき。

そんな錯覚に陥りかねないと思ったから。

 

もし2人がバラバラになったら、

必然的にそれは松松”じゃない”って言われる訳で。

わたしは好きな人にたいして、そんな否定的な言葉や概念を絶対に持ちたくなかったから、だから前提としての松松を避けました。

 

 

シンメが嫌いなんじゃないし、松松が嫌いなんじゃない。

むしろすごくすごく大好きです。

元太くんの反対側にいる人はいつだって松倉くんがいいし、

松倉くんと一緒に踊っている元太くんはとっても輝いていると思います。

 

同じ景色を見続けて欲しい。

同じ夢を見続けていて欲しい。

同じ歩幅で歩き続けて欲しい。

 

心の底からそう思っています。

 

 

だからこそ、私も松倉くんのSHOCKを自分の目で見たいと思いました。

元太くんが客席から見た、

元太くんの反対側にいない舞台上の松倉くんを。

 

 

シンメだから、松倉くんのSHOCK出演が決まった時、

必然的にいろんなところから元太くんの名前が出てきました。

シンメだから、松倉くんがSHOCKに出ることは、

必然的に元太くんが「ひとり」になることを意味していました。

シンメだから、松倉くんがSHOCKに出ている間、

必然的に元太くんは「待っている」ことになりました。

そして、元太くんは「シンメの活躍」を見に、

SHOCKの大阪公演に足を運びました。

 

 

シンメという言葉はこんな風にたくさんの理由になる。

現に、松倉くんが元太くんのシンメじゃなかったら、

わたしがSHOCKを観にいくことはなかったと思います。

 

 

そしてそのSHOCKを観て、私はとてつもない衝撃を受けました。

 

いつも決まって元太くんの反対側の直線上にいる松倉くんが全く別人のように、自分が一番輝ける場所を見つけたかのようにカイトとしてその舞台に立っていたから。

 

松倉くんが紛れもなく元太くんのシンメだったから、

一人の出演者として元太くんが立つことのない舞台に立つカイトは物凄く私の心にドスンと大きな爆弾を落として行きました。

 

そしていちばん重たく落っこちたのは、

カイトとしてそこに立つ松倉くんが、ちっとも独りだと感じなかったこと。

 

ひとつ前に見た元太くんの姿にあんなに感じた独りという儚さを松倉くんに全然感じなくて。

 

その瞬間、この舞台に立つ松倉くんの姿を客席という遠い場所から見た元太くんはどう思ったのかなと、

胸の奥がチクチクと痛くなるような気持ちが抑えきれませんでした。

 

SHOCKの出演が決まって、心細いと口にした元太くん。

カイトの姿を見て涙が止まらなくなった元太くん。

そして、少し時間が経ってからその姿を見て「悔しい」という気持ちを持ったことを教えてくれた元太くん。

 

 SHOCKを通して発信されたどの言葉の中にも、自分のシンメで踊っていた松倉くんとは全く違うカイトという存在ががべっとりと貼り付いているように感じられました。

 

 

そして、カイトの姿を見た元太くんが、その姿を”正解”として見てしまっていたらどうしよう。

「まつくと同じようにならなきゃ」と思っていたらどうしよう。

その舞台に立っていない自分を否定してしまったらどうしよう。

16歳の元太くんが、いきいきと、胸を張って、目を細めてしまうほど輝きを放つ松倉くんの姿を、自分を壊すことなく受け止められていなかったらどうしよう。

 

 

怖くて怖くてたまらなくなりました。

 

 

もしかして、元太くんはカイトを見なかった方がよかったんじゃないかな。

 

 

自分勝手ですごく乱暴で行きすぎたな感情かもしれないけど、元太くんがカイトを見ないままSHOCKが終わっていたらよかったんじゃないかな。

 

 

そうやって、思ってしまう、自分がいました。

 

 

 

 

そんな元太くんが立った、松倉くんの立つことのない舞台がジャニーズワールドと滝沢歌舞伎でした。

どちらの舞台に立つ元太くんにもすごく感動させてもらったし、大好きに溢れていました。

でも、どちらの舞台に立つ元太くんにもやっぱり感じてしまったのは、もがいてるに似た必死さでした。

 

 

松倉くんのカイトには感じなかった、いまこの瞬間の自分の立つ場所での輝き方を懸命に探している、そんな風に映りました。

 

 

それは、カイトとして自分の舞台に立っていた松倉くんを観た時とは全く違う印象でした。

 

 

そのとき、天秤にかけたり、2人を比べたり、

シンメとして活動している自担を持つ限り、わたしが絶対に持ちたくない感情を持ってしまったことに気付いて。

 

そして何より、元太くんを見る私の目が、松松を前提としてしまっているということに気付きました。

一番恐れていた、避けて通りたかったフィルターを、無意識のうちに張ってしてまっていて。

松松を否定するわけじゃない。

元太くんの姿を見ている”先”に、元太くんが目指しているものの”結果として”、松松という2人が出来上がっていて欲しかった。

 

 

松倉くんの姿が元太くんにとっての正解じゃない。

元太くんが追いかけるゴールは松倉くんじゃない。

松倉くんを目指して、自分に足りないものを探して欲しくない。

元太くんが目指すのは、常に今よりも大きな元太くん自身であって欲しい。

そうすればきっと必然的に、そんな元太くんの隣にはきっと松倉くんがいてくれるから。

 

 

だから、出来る限り2人が見る景色は同じ方向を向いていて欲しかった、交わって欲しくなかった。

 

どちらかが、さっと背中を見せてしまったら、2人の並びが横から縦に変わってしまったら、背中を見る方はきっと追いかける、追いつくことにばかり必死になってしまうから。

 

そして、気持ちが少しでも切れてしまったら、背中はその分だけ少し小さくなってしまうかもしれない。

 

 

言葉を選ばずに言えば、歌舞伎の元太くんは必死な中に、少しだけ開き直っているようにも見えました。

良い意味でも悪い意味でも、もがいていっぱいいっぱいになることを辞めて、納得して、今立つべき場所で、やるべきこと、追求すべきものに焦点を落としている。

 

もがいてもがいて苦しそうだったジャニワの元太くんとは違う、ふっと一線を越えたようにも見えました。

 その姿に余計に胸が苦しくなったし、だからこそ、早く松倉くんが戻ってきてほしいと、そう思うようになっていました。

 

私はこの1年、松倉くんがいなくなってしまって初めて、

元太くんの中に松松というものを求めてしまったんです。

 

 

そして、歌舞伎が終わった5月。

1年ぶりに松倉くんが元太くんの反対側に戻ってきてくれました。

それが、シアタークリエThey武道公演。

 

そのステージで踊る元太くんはなんだかとっても落ち着いて見えました。

そして、あ、きっとこのステージが、そこに松松として立っているということ自体が元太くんにとって本当の安心なんだろうな、と。

 

それはバックではなく前に立つとか立たないとか以前に、誰とそこ立っているか、ということに対するもがきから解放されたような、そんな安心感に見えました。

 

 

名前がないけれど名前がある。

松松という居場所が戻ってきたこと。

 

そして元太くん自身が、すごく松松というその状況に身を半分預けているような、そんな姿に見えました。

それは、反対側にいる松倉くんにというよりも、松松としてそこに立てている自分に身を半分預けている、私にはそう見えました。

 

楽しそうで、とっても素直に自分の居場所に立っている。

 

だからTheyクリエを見た時、私もホッとしたし安心したし、それと同時に少しだけ違和感もありました。

 

あれだけの葛藤があっただろう元太くんが、まるで何事もなかったかのような姿でいたから。

あ、この一年もずっと、元太くんの反対側には松倉くんがいたんじゃないかな?と勘違いするくらいでした。

 

そのくらい、きっと元太くんにとって、松松という場所こそが自分のいちばんまっすぐステージに立てる場所なんだろうなと。

 

 

だから、嬉しいと同時にまたすごく怖くなりました。

 

カイトを経験した松倉くんが、

元太くんと隣で踊る松松という場所に同じ想いを抱いてくれているのかな…

そう思わざるを得なくなってしまいました。

 

 

 

2人が何を思っているか、そんなのわたしには到底分かるはずのないことだけど、お互いの手や足がぶつかってしまいそうになりながら、一歩でも前へ、少しでも真ん中へ、そうやって火花散らしながら狂ったように踊っていた2人の姿をぱっと今の2人に重ねてみても輪郭がうまくハマらないような、それは目に見えるもの以上のとてつもなく大きな変化が、間違いなくそこにはあって。

 

別にやる気を失ったとか、そういうことではなくて、1年間という時間の大きさと、独りだった時間が作り出したある意味、擬似平穏に近い空気感みたいな。

 

 

その目に見えない何かが少しだけ昔とは違う、一欠片だけはまらないパズルが混じっているような、うまく言葉に出来ないけど、それは勝手にわたしが感じているだけのことでしかないけど、2人から感じられるオーラにはそんな不思議な感覚を覚えました。

 

 

そして、夏。

 

松倉くんと元太くんは名前がある人たちの中に、名前がないまま名前をもらいました。

ユニット名が並ぶ中に、ぽつり、ぽつりと並ぶ

 

松田元太・松倉海斗 

 

その二つの個人名の並びに対してつけられた

 

”松松”という名前を。

 

 

なんで天才との間にスペースがあるんだとか、

かと言えば天才に入らなくてよかったとか、

じゃあなんで松松だけグッズがないんだとか、

松松は天才プリンスと並んでメインメンバーなんだからおかしいだとか、

 

名前がないまま名前をもらったせいでそんな風に正解と不正解の境界線を無理やり引こうしないと納得がいかないような状況が生まれてしまっているように見えました。

 

 

サマステの公演で、「松松」というコールが出来たのはすごくありがたいことだったし、2人の曲だってもらえたし、バックに徹していた半年間を経て、また再び元太くんがメインという肩書きを持たせてもらえたことは単純に嬉しかったけど、そのステージに立つ元太くんは何となく地に足がついていないように見えてしまって。

 

ステージを楽しむということを違う意味で捉えているんじゃないかなと感じざるを得なくて。

 

 

自分勝手な理想を押し付けたくないけど、でもやっぱり少しだけ、悔しくて。

 

 

松松でいることに身を半分預けてると同時に、その時々の流れに身を任せておこうとしてるような、きっとしんどくてたまらなかった半年間に少しだけ蓋をして今の状況をある意味素直な気持ちで楽しもうとしているんじゃないかなとか。

 

だからなんとなく、元太くんが自分の足で立っているように見えなくて。

 

 

どんな時でも冷静に自分の今ある立ち位置を受け止めて、地に足つけて前を向いていた強い元太くんではなかったような気がして。

 

そう思ってしまう自分がいたことが何より悔しかった。

 

自分勝手すぎることを言っていることは重々承知しているけど、わたしが元太くんを応援してきた数年間ではじめて感じた想いでした。

 

 

まつく(松倉)が出ている『EndlessSHOCK』が観たくて、大阪まで行ったの。堂本光一くんの横で、堂々としたオーラで演技したり踊ったりするまつくを見てたら、帰りの新幹線で感動と刺激とうれしさと悔しさ・・・いろんな思いがグチャグチャになって、ポロポロ涙が出てきたんだ。そこから1週間くらいずっと”今後、自分はどうするべきなのか”っていうことを考え続けて。正解かどうかはわからないけど、”とにかく自分から動くことだ。そして、何か自分の武器を見つけよう”って決めたの。そのあと、ちゃんと実際に動いて、新しい習い事を始めたりして。まだ内容はヒミツだけど、まだ誰もやってないようなことに挑戦中だから、いつか披露できたらいいなって思ってるよ。いつチャンスをもらっても大丈夫なように、自分磨きしないとね!この出来事は、ホントに自分を大人にしてくれた気がする。まさに自分を変えてくれた『EndlessSHOCK』な出来事だったよ(笑)

 

最近『ザ少年倶楽部』で、以前よりは自分より後ろで踊っていた人たちのバックにつくことが多くなって。それもくやしいんだけど、それよりもっと「ダメだな」と思ったのが、オンエアを見たときに自分が100%の笑顔でダンスできてなかったことなんだ。どんなときも心からダンスを楽しんでたはずなのにモヤモヤした気持ちが顔に出ちゃってた。でも逆に、そういうことに気付けてよかったな。人として成長できる機会をもらったんだと思う。 

 

元太くんが話してくれた言葉は、どれも、このひと本当に強いひとだな、と感じさせてくれるものばかりだったし、元太くんはそうやって正直な気持ちと向き合ってちゃんと言葉にできるひとで、そんなところはやっぱりすごく尊敬できるし、このひとはちゃんと常に軸を持ちながらアイドルしてるんだなぁと感じさせてくれました。

 

そして、自分を変えてくれた、成長するチャンスをもらえた。

自分の正直な気持ちを怖いくらいに前向きに受け止める言葉に、

胸を打たれると共に、やっぱりちょっとだけ怖くもあって。

 

この強い想いが、ちゃんと形になる場所が、元太くんに訪れますように。

そう願うばかりでした。

 

そして、この1年、こんな風にマイナスから生まれた強い強い想いとエネルギーを還元する場所は、もしかしたら元太くんが望んでいた形でステージとして100%実現はしなかったのかなと、冬と春と夏を通して感じてしまっていたりもしました。

 

 

必死に探した自分の武器。

それを、ちゃんと満足のいく形で見つけられたのかな。

モヤモヤした想いは、スッと晴れたのかな。

楽しむこと、それは昔からなんどもなんども口にしてくれた、

「全力で!楽しんで!」

とちゃんと繋がってくれたのかな。

 

 

完全マイウェイでおたくをしたいから、

 

誰かと比べたり 過去を懐かしんだり

逃げちゃダメだよ今の君だけを信じて

諦めないで!

 

と本当だったら大声で叫びたかったけど、

そんなにわたしは強くないし、

今の君だけを信じるってすごくすごく勇気がいるし。

 

どんな言葉を聞くのも、

どんな姿を見るのも、

まっさらな気持ちをもってして出来なくなってしまって。

 

 

それが、この1年間、わたしが初めて感じた難しさでした。

 

 

自分勝手で、すごく傲慢で、都合良すぎるし、悲観的にも程があるし、元太くんの気持ちを踏みにじっているようにしか見えなくて、自分でもすごく悔しかったし申し訳なかったし、

でも、変にそういう自分の中の正直な気持ちに蓋をして、

無理やりポジティブに考えるのにも疲れてしまって、

だから余計に、元太くんや松松を飾る綺麗で美しい言葉たちが誇張されたものに映ってしまったりもして。

 

好きな気持ちとは別の気持ちが膨らんでしまうのが悲しくて。

だから、そういう言葉をなるべく目に入れないようにしたり。

自分も無理やり言葉を絞り出そうとしないようにしたり。

 

ただのファンなのになに勝手にエモくなってんだよって、今思えばめちゃくちゃ気持ち悪いけど、その当時のわたしは割りと本気でこんな感じでした(ドン引きながら)

 

 

 

そして、秋。

この1年間、勝手にしんどくなってたことが、

スッと腹落ちして全部がまるっと綺麗さっぱりさせてくれたのが、

ジャニーズフューチャーワールドの舞台に立つ元太くんでした。

 

 

元太くんが1年前に持った「無所」という名前。

 

その名前を1ミリも感じさせない、

完全にひとりの頼もしくて大きすぎる存在として、

しっかり「松田元太」の足で舞台に立っていて。

 

博多・大阪の舞台に立つ元太くんのことを「無所」と呼ぶ人はいなくて。

ジャニワ・歌舞伎では「無所」という名前をなぜか無意識のうちに使っていたのに、

今回のジャニワでは無意識のうちに使わなくなっていました。

 

それって、紛れもなく、

元太くんが舞台に立つその姿に感じた気持ちの重さなんじゃないかなと、

振り返ると感じられて。

 

バックに徹することなく、貪欲に自分自身を見せつけてくる。

良い意味で全く謙虚さのない、

前のめりで頼もしくて止まることを知らない熱量と芯の太さがあって。

 

名前がないことが、こんなにも強みになるのかと、

この1年変に悩んでしまったことがバカバカしくなるような、

それこそが、元太くんがジャニワのパンフレットで語ってくれた

 

「”松田元太”という存在」

 

というかっこよすぎる自己主張でした。

 

去年のジャニワの元太くんは独りでした。

それは二人が半分になってしまった独りでした。

 

でも、今回のジャニワの元太くんは、

松田元太”という一人のジャニーズJr.としてそこに立っていました。

 

同じ「ひとり」でも、その中身は180度違って。

 

こんなにも頼もしくて強くて、

そして貪欲さに満ち溢れた一人の”松田元太”という存在に、

わたしは物凄く圧倒されたし、

間違いなくそこには元太くんの大切な名前が色濃く染み付いていました。

 

 

名前があるということ、

羨ましさと同時に虚しさを感じざるを得なかった概念。

あるじゃないか!元太くんには紛れもなく、

世界中の人に誇れる一人の松田元太という名前が!!!

 

 

そして、そんな風に一人で立つ元太くんの反対側には、

同じく一人のジャニーズJr.として松倉くんがいてくれて。

 

春の小さな会場で感じた、

松倉くんと一緒にいる自分自身に身を預けている元太くんは、

少なくともわたしの目からは、消えていました。

 

いま、松倉くんがまた違う場所に行ってしまっても、

元太くんは残された独りにはならないんじゃないかな。

そう思えるくらい、力強くて芯の通った、

一人の元太くんに会えた秋になったように、

博多・大阪の舞台を終えた今、強く強く感じています。

 

 

誤解を生みたくないから、もう一度言うけど、

元太くん自身がこの1年間何を思っていたか、

わたしには分かりません。

ここまでわたしが書いているのは、独りよがりで、主観に満ち溢れた、単純に1ファンが勝手に本人の気持ちとは別のところで感じていたことです。

 

だから、到底こんなこと意味不明って思う人もいるだろうし、最初に書いたように誰かに共感してもらいたいとか、そんな気持ちはちょっともありません。

でも、この1年を通して、私自身の中にあった大きな気持ちの変化を、元太くんを応援するおたくを今も続けている上でしっかりまとめたかったこと、そしてこの秋のジャニーズフューチャーワールドを見て感じたことを、忘れたくなかったということだけで、今回このブログを書いて、そして自分の中のひとつの区切りとして、なかったことにしないために公開して、目に見える形にしました。

 

さすがにここまで読んでいる人はいないだろう、という願望でお前まだそんなこと言ってんのかよって話を最後にすると、

去年のクリエの最終日に元太くんが話してくれた「ここをスタート地点として」という言葉は、やっぱり私の中ではすごく大きくて、勝手にわたしもあの日を元太くんのファンとして、2度目のスタート地点としていたような気がして。

 

そんなスタート地点から、

歩いたり、立ち止まりそうになったことが少なくなかった1年半。

でも、絶対に忘れたくない1年半。

 

この秋を終えて今3度目のスタート地点にわたしは立っているような、そんな気分で。

 

そして、わたしも、

「全力で!楽しんで!」

の元太くんマインドを持ち続けて、今日も明日も明後日も、元気に元太くんのファンをしていきたいなと強く思わせてくれた、大切な秋になりました。

 

 

 

元太くんが見せてくれる最高の景色の中で、

夢心地のままずーっと寝ぼけ続けていたい!だいすきだよ!