何気ない今日と云う日

偶然あの日出逢い恋に落ちたよ

"ジャニオタ"を辞めて思うこと

 

別に誰に読んでもらうつもりでもないので、思うままに今考えていることをつらつらと。

 

 

 

辞めようと思っていたわけじゃなかったのに、

今の私はどう頑張ってもジャニオタじゃなくなったなぁとここ半年くらい思ってる。

尚、その判断基準は完全に当社比なのだけど。

 

元太くんやトラジャのことを好きな気持ちはびっくりするほど全然変わってないけど、自分の中で思うジャニオタの姿ではなくなったと思ってる。

 

 

一番アクティブだったTwitterのアカウントから離れたのいつだったかなぁと、ふとこの前久しぶりにアカウントを開いてみたら、最後の投稿が2017年だった。

え、もう2020年じゃん!?

体感は1年くらい経ったかなぁと思っていたのに(それはやばくない!?)

 

2年半くらい前から誰にでも目に入る場所で好きなことを好きなように発信するのがしんどくなった。

 

 

あの頃は楽しかったとかそういう話がしたいわけじゃなくて、

そういえばあの時はあの時でものすごく息苦しくて、

あぁもう今までのようにはおたく(あくまで自分の定義の中で)出来ないなぁと結構まじで凹んだりしてた。

2年半前の自分、我ながらジャニオタというものに結構真剣だったな(?)

 

 

 

別に今更何を気にする訳でもないので、クソ老害話すると(やめな?)、

ちょっと前に、自分が一番おたくしてた頃仲良くしてた子と話した時に、

「本当に小さな世界でおたくしてたよね」って話になった。

 

あの頃は共感することがおたくすること、みたいなところがあって、いや今もそれはそうなんだと思うけど、

現場(バック仕事)とか雑誌(月刊紙)とかたまにの露出をめちゃくちゃオーバーに騒ぎ立てて、

これがやばい!!!!!ここ見たっしょ???いやそれな!!!!

の世界だったし、なんか明確な単語という訳じゃないけど無言の共通言語みたいな雰囲気があって、それが不思議とめちゃくちゃ居心地良かったんだよね。

2くらいの情報を100のエネルギーで消費してる感じ。

 

でも、例えるならそれは6畳のワンルームで5,6人で鍋パしながら雑魚寝気味に酒飲んでる心地よさだったから、多分外から見たら居心地悪そうだったんだろうなとも思う。(例えの悪さ)

 

そして、別にそれを変えようとする気は当の本人にはなかったんだよな、と。

 

 

他担の友達に当時「元太担てすごい周りに牙むいてるよね」て言われたことあって目ん玉2つとも坂道から転がしたことあったんだけど、

無自覚に外にバリア張ってたのかなぁと今考えるとすこーしだけ心当たりあったりする。

 

なんだろう、セクバなくなって、ユニットにも所属しなくなって、みたいな時、

少年にもいないし、まじで元太くんのこと話してるのって元太担しかいなくて、個人的にはそれが悔しくてなんとかして元太くんのこと見てないやつの目に止まれ!!!!ってギリギリしてて、

あとこれは私が過敏だっただけかもしれないけど、

無所現場で元太くんに対する厳しい意見を目にすることが少なくなかったのが怖くて、

余計に元太担以外を敵とは思わずとも、元太くんをよく見てくれない人、みたいに思ってた(ヒステリックババア)

 

 

松松が当時のJr.の中で少し特殊な異動(言い方?)を繰り返してたのも原因にはあるのかもしれないけど、

一時はそれこそ今のキンプリメンバーと同じ隊列の中でお仕事したり、それなりに前の方に立たせてもらえることもあったり実はちゃっかりオリジナル曲で音源が出たこともあったりして、

その直後にユニットが乱立するタイミングで一気に周りの全てが離れていくように感じて、

気付いたら舞台班と呼ばれて無所属Jr.の立ち位置になっていたり。

 

 

あっち行ったりこっち行ったり、

光が当たったと思ったらスッと消えそうになったり、

多分色んな意味で勝手におたくが振り回されて環境の変化に敏感になりすぎていたのかなんなのか、たしかに情緒の安定感は耐震強度ゼロだったので、

色んな意味で常に過剰に発言してたなと思う。

もう過去の自分のTwitter見ると目チカチカすんだわこれが。

すごい喋る。それもとてもとても過剰な表現で。

 

 

元太くん良いところを元太担が言わんでどうするみたいな気持ち、ただのお前誰だよ案件すぎてアイタタタ…なんだけど、本人大真面目なんですよね。

当時の元太担だいぶヒスってた。(お前だけだよ)

 

 

まぁ本人も今ほどおもろ破天荒キャラぶちかましてなかったし(その姿見る機会なかったし)、

ユニット戦国時代の松松の置かれてた状況的にもそんな毎日お気楽なだけでいれるはずもなく。

みたいなとこあった、よね。(急に共感求める)

 

 

でもそういうヒス感情を共有するのも、私の中では心の拠り所だったような気がする。

傷を舐め合ってたというか、いつか必ず光が当たるよね!だから絶対大丈夫!だってこんなに素敵なんだもん!

て言い合うのがデフォのマインドだった。

今思えば痛々しい。

 

 

言うなれば誰にも見てもらえない(と思い込んでた)、を誰にでも見てもらえる、になることが当時の1番の夢だったみたいな、そんな気がする。

 

デビューという言葉を発するまでもなく、

沢山の人の目に留まる場所になんとかしていくことが出来ないか、それが論点だった、私の中では。

 

 

 

主演舞台をやっても、他担の友達はその事実すら知らなかったし、主演舞台の期間は夏のEXがあって、見学に来てくれる子も多くなくて、

結局こんなすごいことなのに誰にも知ってもらえないって被害妄想MAX値でヒステリックぶちかましてた。

 

SHOCKに出ても、限られた世界の中での「すごさ」のように感じて。

SHOCKに出演するということの価値を大きな声で称賛するのってほんの一部にすぎなくて。

当時のジャニーズJr.にとって、冬の帝劇とか夏のEXとか、いわゆるJr.としてのメインの仕事を外さずにこなすことの方がずっとずっと大切だったように思えた。

 

 

逆に言うと、松松はそこから外れた。

と、悲しくも言わざるを得ない環境だった。

 

 

安定的にJr.としての立ち位置を維持すること。

以前は松松と同じような場所に立っていた子たちが、当時それを実現する子と、この世界から去っていく子の二択になった大きな時期だった。

 

 

 

頑張って元の場所に戻りたくて、でも戻れる場所はなくて、

そんなやりきれない想いを毎日抱きながら少しでも明るい場所を求めてた。

 

 

多分そういうおたくの仕方してた時間が長すぎて、

私にとってはそういうおたくの仕方が普通でそれが落ち着くんだと思う。

皮肉にも。

 

 

 

一緒に頑張ることがおたくすることの正解になった、そんな空気が流れてるなと、ある時から思うようになった。

正解はもちろん誰が決める訳でもないけど、

色々なコンテンツが積極的に発信される時代になって、

それぞれのコンテンツをおたくがどう消費したかが怖いくらいに本人たちに還元される。

 

 

再生回数の伸ばし方や要望のフォームが、探さなくても星の数ほど落ちてくる。

もちろんそれを拾う拾わないは個人の自由だけど、

それを強制するわけでなないよ、と言われる、それ自体がすでにプレッシャーだなと思うようになったりした。

 

実際にそうやって消費が上手いおたくが沢山いることが、本人達の夢を叶えられるってことを目の前で見せられたら尚更。

 

 

誰かがやってくれる、という気持ちを持つのが

ものすごく悪いことのように思えてきて、やっぱり息苦しくなってしまった。

そのことに対して本人達に申し訳なくなって、あ、この申し訳ないって感情持ったら終わりだって思った瞬間、

多分私は一歩後退りしてしまったんだと思う。

 

 

事実として、そうやっておたくが力を出したことが実になった事例は2019年いくつもあったし、

今までとは違うメディアにどんどん進出して、

通勤電車の中吊り広告にトラジャ がいた時はさすがに嬉しくて泣きそうになった。

 

 

本人達と一緒におたくが目指すところが、大きな広い世界、デビュー、というスポ根的な一体感、

ライブに足を運んでもすごく感じる。

 

 

SNSYouTubeで、本人たちとの物理的な距離がどんどん縮まって、

おたくが思ってることが昔よりも遥かにダイレクトに伝わりやすい環境がありすぎて、

あれやりたいこれやりたいを実現させるにはこれ以上ないくらい世界が変わった、ジャニーズなのに。

 

再生回数やTwitterのトレンド入りとかタグとか、要望を送る、お礼を送る、よりももっと低くなったハードルで、

ありとあらゆる手軽な方法を1人が1回ずつやること、

何にも難しくないからこそみんなでやれば出来る頑張ろうというマインド。

 

 

考えたこともなかった。

Jr.担としてジャニオタしてた時。

 

もちろん昔からしっかり色んな手段を駆使して声を上げてる人も沢山いた。

でも、正直私はそれが少しだけ苦手だった。

無力なおたくだったなぁと思う。

 

私はとにかく圧倒的に消費する側だった。

好きな食べ物と同じように、お金を払って消費をする。

でも逐一それに対してこちらから何かお返しをしようと頑張ったりはしなかった。

 

 

言うなれば私はジャニオタをすることを少し贅沢なディナーをする、そんな気分でやってたわけで。

美味しかったですと大きな声をあげて、ありとあらゆる手段でお店のレビューをするわけではなく、

同じお店が好きな人と、今日はこれを食べました、あ、それ美味しいですよね、て言ってるだけだったから。

 

 

一緒に夢を追うって当時の自分は思ってたけど、私がやっていたのは夢を見守っていた"だけ"だった。

 

"だけ"っていう言い方は違うかもしれないけど、

今この世界では私のスタンスは"だけ"なんだろうなと思う。

 

 

「夢を追う=出来ることをやる」

 

それが義務でも、それが普通でもないことは分かる。

ただ、そういう空気があるなぁとは感じる。

 

私がそういう空気を気にせずマイペースにおたくします〜が出来なかったのは、

最初に言ったけど共感することをなによりも醍醐味としていたから、ただそれだけで、多分他のなんでもなくそれが理由。

 

 

 

昔が良かったとかそんなことは1ミリも思わない。

むしろ、こんなに元太くんの夢が夢で終わらないようなところまで来てること、願っても近づけなかった場所にこうやって来れたんだよって、

あの頃の私に教えてあげたらなんて言うかな。

涙を流しながら喜ぶかな。

 

皮肉にも、私はこの夢のような環境を全力で走り抜けるだけの体力がなかったよって言ったら、

あの頃の私はなんて言うかな。

 

 

別に今全然後ろ向きな気持ちではなくて、

今でも毎週木曜日を楽しみにしてるしインスタもありがたく見てるし、

元太くんの顔もダンスもこれ以上好きになれんくらい好き、

と言う気持ちだけはずっと持ってる、変わることはないだろうなという自信だけは何年経っても綺麗事じゃなく思う。

 

 

もちろん現場にも数は減ったとはいえ足を運んでるけど、

昔とは気持ちが全然違う。

 

もうきっとこの時点で私はスマホじゃなくてガラケーを使ってる、みたいな、多分そんな感じ。

 

使いやすいし変える気はない。

自分の使用用途として不自由もしない。

でも他の人とはちょっと繋がりにくい。

 

それだけ。

 

 

私は私で今でもすごく楽しくトラジャ のことを応援してる。

 

そしてこれからも変わらず応援したいし、

行ける範囲でちゃんとその活躍を見に行きたいと心の底から思ってる。

 

ただ、私がガラケーからスマホに乗り換えるのは結構難しかったんだろうなと思う。

 

 

 

変わっていく時代で変われなかったおたくだけど、

まだまだ元太くんの夢を見守らせてください。